2025/12/05
登記簿謄本を英訳するとき、住所の「区」をどう訳すかで迷うことがある。
東京23区のような特別区を英訳する場合、選択肢は主に3つだ。
- Ward →「区」を英語に翻訳した表現
- -ku →日本語の「区」をローマ字でそのまま表記
- City →特別区の公式英語名として採用されている表記
結論から言えば、いずれも正しい。どれを選んでも間違いではない。ただし、それぞれに特徴があり、「厳密な正確性」という観点で言えば、実は-kuに分があるのではないか →そんな話をしてみたい。
3つの表記の特徴
まず、それぞれの表記の特徴を整理しよう。
Ward →英語への「翻訳」
「Ward」は、「区」という行政区画を英語に翻訳した表現だ。
千代田区 → Chiyoda Ward
渋谷区 → Shibuya Ward
英語話者には馴染みやすく、「これは行政区画の一種だな」ということが伝わる。地図サービスや観光案内でもよく使われる表記だ。
-ku →日本語の「音訳」
「-ku」は、日本語の「区」をローマ字でそのまま表記したものだ。
千代田区 → Chiyoda-ku
渋谷区 → Shibuya-ku
翻訳ではなく音訳。日本語でこう呼んでいる、ということをそのまま伝える表記だ。
City →特別区の公式英語名
東京23区の特別区は、それぞれが独自の公式英語名を定めていることがある。その中には「City」を採用しているケースがある。
千代田区 → Chiyoda City
渋谷区 → Shibuya City
特別区は、法的には市町村と同等の権限を持つ基礎自治体だ。だから「City」と名乗ることにも一定の根拠がある。
Wardの問題 →「Ward」の意味は国によって違う
「Ward」は英語として自然に読めるが、一つ問題がある。「Ward」という言葉の意味が、国によって異なるのだ。
英語圏で「Ward」と言ったとき、何を連想するか。
イギリス
イギリスでは「Ward」は、市や区の中のさらに小さな区画 →選挙区や行政上の小区分 →を指すことが多い。日本の「区」よりも小さい単位のイメージだ。
アメリカ
アメリカでは、一部の都市(シカゴやニューオーリンズなど)で「Ward」が行政区画として使われているが、全国的に馴染みのある言葉ではない。「区」に相当する概念として「District」「Borough」などが使われる都市もある。
シンガポール
シンガポールでは、「Ward」は病院の病棟を連想する人が多いかもしれない。
つまり、「Shibuya Ward」と書いたとき、読み手の国籍や経験によって、連想するものが違う可能性がある。「Ward」という言葉に対する共通理解がないのだ。
Cityの問題 →「市」と混同されないか
「City」を使う場合にも、別の問題がある。
日本には「市」という行政区画がある。横浜市、大阪市、名古屋市 →これらは「City」と訳すのが一般的だ。
横浜市 → Yokohama City
大阪市 → Osaka City
ここで、東京23区の「区」も「City」と訳すと、どうなるか。
渋谷区 → Shibuya City
横浜市 → Yokohama City
両方とも「City」になる。日本の行政制度を知らない人が見たら、「渋谷市」と「横浜市」は同じ種類の自治体だと思うかもしれない。
実際には、特別区と市は法的な位置づけが異なる。特別区は都の内部団体としての性格を持ち、一部の行政事務は東京都が担っている。この違いが「City」という同じ訳語では伝わらない。
-kuの利点 →「日本ではこう呼んでいる」という正確性
では、「-ku」はどうか。
「-ku」は翻訳ではなく音訳だ。日本語の「区」という言葉をそのままローマ字で表記している。
これは一見すると「翻訳をサボっている」ように見えるかもしれない。しかし、厳密な正確性という観点では、むしろこれが最も誠実な表記ではないだろうか。
なぜなら、「-ku」は解釈を挟まないからだ。
「Shibuya Ward」と書くと、「Wardとは何か」という解釈が入る。読み手は自分の知っている「Ward」の概念に当てはめて理解しようとする。その結果、実際の日本の「区」とは異なるイメージを持つかもしれない。
「Shibuya City」と書くと、「市と同等の自治体である」という解釈が入る。確かに一面では正しいが、特別区と市の違いを捨象している。
「Shibuya-ku」と書くと、どうなるか。読み手は「-ku」が何を意味するか分からないかもしれない。しかし、それは「自分の知らない行政区画がある」という正確な認識につながる。
日本の「区」は、イギリスの「Ward」でもアメリカの「District」でもない。日本独自の行政区画だ。それを無理に英語の既存概念に当てはめるよりも、「日本では-kuと呼んでいます」とそのまま伝える方が、誤解を生みにくい。
同様のアプローチ →都道府県、町、丁目
この「音訳」のアプローチは、住所の他の要素でも使われている。
都道府県
「Tokyo-to」「Osaka-fu」「Hokkaido」のように、「都」「府」「道」をローマ字のまま表記するケースがある。「Tokyo Metropolis」や「Osaka Prefecture」と訳すこともできるが、「-to」「-fu」のままでも十分に機能する。
町
「Shibuya-cho」のように、「町」を「-cho」とローマ字で表記することがある。「Town」と訳すこともできるが、日本の「町」は英語の「Town」と完全には一致しない。
丁目
「1-chome」のように、「丁目」を「-chome」と表記するのは一般的だ。「丁目」に対応する英語の概念がないため、音訳するしかない。
「-ku」もこれらと同じ発想だ。無理に英語に訳すよりも、日本語の概念をそのまま伝える。
ただし、いずれも正しい
ここまで「-ku」の利点を述べてきたが、改めて強調しておきたい。Ward、-ku、City、いずれも正しい。
「Ward」を使っても、住所として機能しないわけではない。郵便は届くし、相手にも伝わる。観光案内や地図サービスでは「Ward」が広く使われており、見慣れた表記でもある。
「City」を使うことにも根拠がある。特別区が公式に採用している英語名であれば、それを尊重するのは自然なことだ。
どれを選ぶかは、文書の性質や提出先、依頼者の意向によって判断すればよい。
最も重要なのは「統一」
Ward、-ku、Cityのいずれを選んでもよいが、一つの文書内で混在させてはいけない。これは絶対だ。
たとえば、本店所在地は「Chiyoda-ku」、役員の住所は「Shibuya Ward」、別の役員の住所は「Minato City」 →こんな文書を作ったら、読み手は混乱する。「これは別の種類の行政区画なのか?」「同じ東京なのに表記が違うのはなぜ?」と疑問を持たれる。
統一されていない文書は、プロフェッショナルな印象を損なう。どの表記を選ぶにせよ、文書全体で一貫させることが最も重要だ。
翻訳実務への示唆
登記簿の「区」を英訳する際、以下の点を意識しておくと良い。
1. どの表記を使うか、最初に決める
翻訳を始める前に、Ward / -ku / City のどれを使うか決めておく。途中で迷って表記がブレるのを防ぐためだ。
2. 依頼者や提出先の指定があれば従う
会社が公式英語名を定めている場合や、提出先から表記の指定がある場合は、それに従う。
3. 迷ったら「-ku」も選択肢に
特に指定がなく、厳密な正確性を重視するなら、「-ku」は良い選択肢だ。解釈を挟まず、日本語の行政区画をそのまま伝えることができる。
4. 政令指定都市の「区」に注意
この記事では東京23区(特別区)を中心に述べたが、横浜市や大阪市などの政令指定都市にも「区」がある。これらは特別区とは法的性質が異なる(市の内部区分)。どちらの「区」も同じ表記で統一することが多いが、文脈に応じて確認が必要だ。
まとめ
「区」の英訳には、Ward、-ku、Cityという3つの選択肢があり、いずれも正しい。
ただし、WardやCityは、各国によって解釈が異なる言葉でもある。「Ward」と言っても、イギリス人とアメリカ人では連想するものが違う。「City」は「市」と混同される可能性がある。
その点、「-ku」は日本語の「区」をそのまま音訳した表記であり、解釈を挟まない。「日本ではこう呼んでいる」という厳密な正確性を伝えることができる。
もちろん、どの表記を選ぶかは自由だ。最も重要なのは、一つの文書内で統一すること。表記がバラバラだと、読み手に混乱を与え、文書の信頼性を損なう。